1.知らないままの認知症

今では「認知症」という言葉があります。
でも当時はその言葉がありませんでした。

私が初めて認知症と出会ったのは、今から40年ほど前だったと思います。
子供の頃、同居していた祖母の異変がそれでした。

当時は、認知症という言葉もまだ生まれておらず、その症状が病気だという認識もなかったと思います。
《 歳を取ったらボケるもの》
周りもそんな風にしか理解していませんでした。
脳が委縮しているとか、進行を抑えるとか、ましてや病院に行くようなものだと家族や親戚、誰もが理解しないまま、日々を過ごしていました。

明治生まれの祖母はとても賢い人で、幼い私に色々な話をしてくれていました。とにかく働き者で朝から晩まで働いている人でした。
そんな祖母がある日、突然私を叱りました。
「お客さんに挨拶しなさい!」
と。

周りを見ても誰もいません。
でも、座布団を出してお茶を入れている祖母。
別の意味で怖くなり、母に泣きついていました。

日を追うごとに祖母の様子は変化します。
ないものをあると言って探したり、食事をした直後に食事はまだかと不貞腐れます。
「とうとうボケがきたなぁ」
父は仕事でほとんど家にはいません。
日中は母がそんな状態の祖母を一人で介護することになります。

私は祖母の介護の大変さなど知る由もなく、変な行動をする祖母を面白がったりのんきなものでしたが、そのうち祖母の時間軸が狂い始めてきました。
朝も昼も夜も行動するようになります。
父は自分の母である祖母を怒鳴り、怒ります。
一方、母は自分の姑である祖母を守るように、父と言い合いするようになりました。
祖母のおかしな発言や行動が、家族に不穏をもたらしました。

そのうち、笑いごとで済まない事態に進んでいきます。
何もかもを忘れてしまうのです。
お金を取ったり取られたと大騒ぎしたり、トイレを粗相したり、物や人の区別もつきませんでした。

祖母にとって父は怖い人。
母は親切にしてくれる人。
私はどこかの娘さん。
祖母にとって私たちはもう家族ではありませんでした。

今思えばですが、母はそんな祖母に本当に優しく何から何まで一人で背負って介護をしていました。気晴らしにと散歩に連れ出したり、夜中も徘徊しないよう傍について、食事の世話、下の世話、もちろん、父や私の世話もです。

当時子供の私でさえ、書けないくらいの常軌を逸した祖母の行動の数々とそれに寄り添っていた母の意志。情報も相談する人もなく傍で10年近く介護をしていた母を思うと、精神的にも肉体的にもどれほどだっただろうかと恐ろしくなると同時に、尊敬せずにはいられません。

祖母はやがて体力自体が衰え、寝たきりに。
リビングの横に祖母のベットを置き、24時間見守る日々が続きました。

異変を感じてから10年ほど経ったと思います。
祖母はそのまま老衰でこの世を去りました。

これが「昔こんなことがあったんだよ」という思いで話であればよいのですが、その頃の母の歳に追いついた私がいます。
主人の両親、私の両親が、当時の祖母の歳になっています。

そして今、私は認知症の家族を抱える立場になりました。
色々な情報をもとに、支援やアドバイスを受けながら、主人と息子と共に向き合っている毎日です。

何をすればいいのか。
何に頼ればいいのか。
私たち家族はどうするべきなのか。

悩みながらひとつひとつ答えを出しています。
正直、とても大変です。
どう接したらいいのか、向き合うとはどういうことなのか、何もわからないのです。
誰のために何をするか、迷います。

祖母の時とは違い、今は認知症の介護について、いろんな情報、方法や手段があります。ただ用意されているにもかかわらず、 突然訪れるその時に、方法や手段を知ることすらできない、というのが実態でもあります。

ですので、少しでも早く、認知症になった本人にもその家族にも選択できる方法があることを知ってほしいと思いこのカテゴリを作りました。

知っておくことが後の安心に繋がる、と思っています。

少しづつの投稿になると思いますが、同じことで頭を抱えている方のお役に立てれば幸いです。